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過去にTOPページに載せたColumnのバックナンバーです(2005年以降)

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Mar 12, 2006:美しい日本を表すいい言葉

Oct 02, 2005:「人間は親しくなるに連れて、迷惑になる」 (土屋賢二氏)

Sep 11, 2005:非常時、家族との連絡はどうしてますか?

Aug 15, 2005:国際近代史のすすめ

Jul 18, 2005:米国最新医療事情 (Part 2)

Jul 03, 2005:米国最新医療事情 (Part 1)

May 22, 2005:人生の2/9(22%)、あなたは何に使ってますか?

May 01, 2005:ズバリ、女性にもてるには?

Apr 24, 2005:韓国の街を歩いて感じる、懐かしい日本の昭和

Apr 10, 2005:韓国・中国の歴史観

Mar 13, 2005:心に沁みた、いい言葉(6) 縲恂イに日付を~

Feb 28, 2005:ラスト・プラニングのすすめ(3)

Feb 13, 2005:ラスト・プラニングのすすめ(2)

Feb 06, 2005:ラスト・プラニングのすすめ(1)

Jan 30, 2005:地方公務員の平均給与額が示す、日本の末期的症状

Jan 23, 2005:携帯の2006年問題とは

Jan 09, 2005:災害は、忘れる前に、やってくる

■ 2004年のColumnはこちら


美しい日本を表すいい言葉

ご無沙汰もここまで来ると怠慢としか言いようがないが、先日ある方から「HP見てますよ」と激励されて、また復帰いたしました。同時に、最近各方面で問われている「日本の国柄、品格が失われていないか、という問題について、いろいろな方のお話や本を読む機会に恵まれたので、1つ1つ紹介してみたい。

~神に感謝する。日本という尊い国を創っておいてくれたことを~
最初にご紹介するこの言葉。いったい誰が言った言葉だとお思いですか? 神という普通の日本人はあまり使わない言葉から始めているので、外国人だろうということはお分かりだと思うのですが、時は1922年なのです。全文をご紹介します。

「近代日本の発達ほど世界を驚かせたものはない。長い歴史を通じて万世一系の天皇を戴いてきたという国体を持っていることこそ、今日の日本をあらしめたのである。 世界の未来は進むだけ進んで、その間争いは幾度ともなく繰り返され、最後の戦いに疲れる時が来る。その時、人類は真の平和を求めて、世界的な盟主をあげねばならない。

この世界の盟主たるものは、武力や金の力でなく、あらゆる国の歴史を抜き超えた最も古く、また最も尊い家柄でなくてはならない。我々は神に感謝する。神が日本という尊い国を創っておいてくれたことを」 縲恣坙{人へのメッセージ by アルバート アインシュタイン~

冒頭の近代日本という言葉に戦後を思い浮かべてしまった方も多いと思いますが、1922年=大正11年ですからちょうどワシントン条約とかがあって、世界がヤバイ方向へ流れつつある頃ですね。それでも外国人は日本を見て、他のどこの国とも違う美しさを感じてくれていたのはなぜなのでしょうか? 私は当時の言葉の持つやさしさだと思います。当時の人、すなわち私の親の年代ですが、その頃の人が使っていた言葉は本当に丁寧な美しい言葉だったように思います。

まず、TVや漫画で氾濫する汚い日本語を、あれは違う日本語で正しい日本語はこうなんだ、という国語教育が大切だと思わせられますね。

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人間は親しくなるに連れて、迷惑になる

すっかり秋めいたかと思いきや、今日はいきなり31度以上にも気温が上がって、犬を連れて散歩に出たものの猛烈な日差しと体温上昇で、意識が朦朧とするところだった。私の調子がいつもと違うのを覚ったのか、あるいは本人もヤバイと思ったのか、犬の方からいつもならまっすぐに進む道をそれて木陰の多い公園に入ってくれたお陰で命拾いした感じ。ホント犬は賢い。

週刊文春に毎週コラムを載せている土屋賢二氏が、先週号で面白い言葉を書いていた。それが、「人間は親しくなるに連れて、迷惑になる」だ。その内容を要約すると、「1人で誰に構われることもなく、新聞でも読みながら好きな食べ物を作法を気にせず食べたいのに、その店の主人と仲良くなるとなんだかんだと話しかけられて、好きでもないものを好きだということにされてしまう・・」ということで、「人間関係が出来ると自由は失われるのが常だ」となる。

誰しもこの類の経験はあるんじゃないかな。私もすぐ思い浮かぶ人間関係が2つ3つはある。ひとつは犬の散歩で声を掛け合う犬の名前しか知らない人々。「あらぁ、ごんちゃん(我が家の犬の名前)おはよう!」と、その方は我が家の犬に挨拶しているのか私に対してなのかよく分からない態度で来るが、挨拶された私としては(あんた誰だっけ?)と思いながらも無視すれば近所の評判が悪くなるかも、と思うから、「おはようございます」なんて挨拶してしまう。本当は早く帰って飯を食って仕事にかからなければならないのに、犬同士が知り合いというだけでも人間関係が出来てしまうのは困ったものだ。

都会の良さは他人に干渉されにくいことだ、といわれるが、人間関係が全くなければ前回書いたような災害時などは困ったもんだろうし、知り合いが多ければいい、というもんでもない。この辺が一番難しいのだろうね。広く浅く、ってとこなのかな。

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非常時、家族との連絡は、どうしてますか?

最近この”週末記”が”月末記”になりつつあるので、大変申し訳ないと思いながら頑張っております。

今日は選挙があったけど、9.11といえば気になるのは4年前のテロ事件ですよね。あの時ご家族が一番イライラさせられたのは、何といっても”家族の安否”なんだと思います。今年起きたハリケーン・カトリーナによる災害でも、家族と離れ離れになった心細さが一番つらいんだ、とTVに映った女性がいっていた。

そんな時役に立って欲しいのが、携帯。非常時は繋がりにくい、と悪評は高いが、docomoが始めて他社との共同運営も企画されている「災害用伝言板」サービス、あれはいいですね。登録さえすれば番号から家族の安否が知れるという、安堵感がうれしい。まだ非常時に使ったことがないけど、つながり難さも徐々に解消されてくるらしいので、期待しましょう。

非常時とまでいかなくても、電車の遅れとか台風の水害でどこの道が通行止め、とかの時どうしてますか? 地下鉄のホームについてから「えー、いつ動くんだろう・・」って時ありますよね。他のチョイスを知りたくて駅員に聞きたくても、最近近くにいないし、聞いても分からないことが多いけど、そんな時役に立つのが朝日新聞が携帯サイトで始めた「ライフラインNEWS」。

台風・地震といった災害のHot Newsから、一般時も含めた鉄道の運行状況、さらには休日に便利な病院検索から応急措置までが、月額200円で見れるというサービス。結構いろんなところで地震が起きていて驚いたり、何より交通のオルターナティブ(他の選択肢)が得られるのがいい。

興味のある方は、メニューリスト→交通/地図/旅行→交通情報(7)と進んでみてください。掲載されている朝日新聞の情報が捏造でないことを祈ります。

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国際近代史のすすめ

先日広島・山口へ行く機会があり、広島では原爆ドームから平和祈念博物館を、山口では萩まで足を伸ばして松蔭神社などを見学してきた。

それぞれの詳細は省くとして、一応「歴史は得意!」と自慢してきた私だが、「なぜ広島だったのか」とか、当時の日米欧の微妙な力バランスなどは全く知らないことばかりで、「今まで必死に勉強してきたはずの歴史とはいったい何だったんだろう・・・?」と自らの無知を知らされる結果となってしまった。

ご存じの通り中高等教育では、日本史と世界史を習うが、明治以降のそれも昭和の時代ともなるとそれこそ「アッっという間」に終わってしまい、それも3年の3学期かなんかだもんだから、入学試験に出る範囲でもないし、内申書にも関係しないしで、ろくに勉強していない、というのが世の大半の方々の共通の思いではないだろうか。

そこで提案。明治維新以降の日本史・世界史は、それぞれから独立し、「国際近代史」としてはどうだろう。開国して国際化した日本と、欧州列強の植民地時代から独立していく過程のアジアなどを、細かに1年掛けて学習する必要を感じるのだ。

なぜなら、恥を承知で申し上げるなら、朝鮮半島分断の背景や台湾問題ももっと細かに知っておく必要を強く感じるし、毛沢東から文化大革命だってよく分からないことが多い。 特に、中近東のイザコザの歴史なんて全く知らないことばかりだし、さらにインド・パキスタン、バングラディッシュとなるとガンジーくらいしか頭に浮かばない。

これからの日本人は、いや我々も含めてだけど、否応なく国際化に巻き込まれているわけだし、中国がこれほど日本を嫌うにはそれなりの理由があるんだろうから、その背景だけでもちゃんと勉強しておく必要があるだろう。韓国だってブームの裏にはまだまだ反日感情だってあるに違いないし、でももっと仲良くなれるような気もする。

何時代のなんとか天皇の名前を覚えるのも大切だけど、それ以上に国際近代史こそ現代日本人に必修の課目ではないんですかね。

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最新米国医療事情報告 (Part 2)

日頃頼りに仕切っているPCの液晶画面が故障してしまい、保障期間中ゆえに何とか安く済まそうとメーカーに修理を頼んだら1W以上も使えなかった。昔は「この手帳がなかったら仕事ができない・・」と思っていたけど、今じゃPCってわけだ。

前回に続き、米国医療事情の第2弾。診察室(Exam room)を渡り歩く先生が1日に何人の患者を診るか? これはドクターにとっては切実な問題で、実は米国のドクターは勤務医といえども固定給は極端に低いらしく、あとは”出来高払い”なのだそうで、1日何人の患者を診れるかは能力と同時に収入へも直結する問題なのだ。

で、平均的には1日15-6人というところらしい。診療科目にもよるし手術などが入れば少なくなるのは当然としても、日本の状況からはかなりうらやましい=少ない印象ではないだろうか。私が訪れた病院では最高で25人というのが記録らしく、「これ以上は質が落ちる」というから限界なのかもしれない。

さらに驚いたのは、「1 Day Operation」といって、子宮筋腫程度の手術(といわれても、どの程度なのかは私には不明・・)なら、朝8時に診察室に入り、そのままその部屋で(手術室に移動しないで)ドクターと看護師数人でアッという間に手術を終えて、「そのひのディナーはご自宅で摂って頂く」というから驚いたのなんの。確かに、出産の時の素早さ(前日または当日に入院し、翌日退院)が時々話題にはなってはいたけど、「ここまでやるかぁ」って感じ。

とにかく、医療=ビジネスという感覚は日本のそれとは大きく違うような気がする。日本でもビジネスと考えている私立病院は多いけど、どこもビジネス=悪徳病院=利益追求的なイメージが強く、本当の意味の患者本位とか医療水準の高揚にはまだまだ時間がかかりそうな気がするのに対し、米国はその点患者も病院側の診察はビジネスと割り切っていると事があって、一定の期間やコストに対してある一定の効果があれば満足する、というような大人の社会というか医療に過度な期待はしていない気がしたのでした。

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最新米国医療事情報告 (Part 1)

いっやぁー、実に1ヶ月以上もコラムをサボってしまった。受験生だった頃予備校の夏期講習会を1日でもサボると、もう次の日から行きづらくなった事を思い出していた。

何もしないでサボっていたわけではないのです。実は米国のNew York YC(New York City)とChicago に行って、最新の医療事情を見てきましたので、ご報告いたしましょう。

まずマンハッタンの34丁目にある50床規模の総合病院。病院といっても米国では99床まではクリニックと呼ぶらしいので、中クラスのクリニックという感じ。それでも7階建のビルに5フロアを有し、診療科目も10近くあるから、日本で言うクリニックとはちと違うけどね。何でもスケールが大きいのが米国流とすれば、医療も同じということか。

1階の初診の総合受付のある待合室に入ると、そこは日本でよく見かける風景そのまま。雑然と椅子がいくつも並んで患者さんがコールを待っているのは同じだった。ここで診察室を指示され、該当する診療科のあるフロアへと移動する。ただし、米国の病院はER以外はどこも完全予約制とのことなので、2時間も3時間も待つということはまずない、との説明。(TVのERでは結構あったけどなぁ、と思いながらも説明にうなずく)

2階以上のフロアは1階の受付が雑然としていたのに比べ、いわゆる”Office”みたいなイメージに変身。エレベーターを降りると受付があり、その後ろにナースステーション。あとはパーティションで天井まで区切られた”個室”がいくつも並んでいる。廊下にはいくつか椅子が並んでいるが、日本のように所狭しとベンチが置かれている状況とは全く違うので質問してみたら、予約患者や1Fで受付と終えた初診の患者は、それぞれ指示された個室でドクターを待つ。

この個室が診察室(Exam Room)で、ドクターは自分の個室(Office)または大部屋(Doctor’s Room)から患者の待つ診察室へ行くというわけだ。つまりドクターが診察室を行き来するわけで、日本の病院のように)ドクターが診察室で待っていて、その前に患者が列をなす、のとは違う光景。考え方が違うのか、システムがそうさせるのかは分からなかったが、患者は楽だろうね。米国の患者にもいろいろあって、マンハッタンのど真ん中にある診療所に予約して来れるような患者は、みんな富裕層なんだろうな、と思いながら聞いたら、やはりそうですと。

次回は、その個室で行われる診察の驚異的な数字についてご紹介します。

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人生の2/9(22%)、あなたは何に使ってますか?

毎日忙しくしている人は、1日が30時間あったらいい、とか思うそうだけど、僕も結構忙しくしている割には1日がそんな多く時間があったら飽きてしまうだろうな、と思ってしまう。それでも、時間を有効に使いたい、とはいっつも思っているんだ。

米国のある科学者(社会人類学かなんか)が、人間の毎日の行動を分析していてある法則に気が付いたんだそうだ。それは、人生の1/3は寝ている。これは誰だって知っているけど、残りの2/3の1/3、つまり人生の2/9は、なんと何かを待っている、のだそうだ。

たとえば、ある人からの電話とか返事を待っている、レストランで注文した品を待っている、毎日通勤で電車を待っている、あるいは電車の中というのも、電車が目的地に着くのを待っている、ということになるらしい。という具合に、1日の内でも結構「待っている」時間というのが多いんだね。 だからこそ、この「待っている」時間を有効に使えれば、言い換えれば待ちながら何かをしていれば、1日が24時間にも30時間にも使える、ってことらしい。

電車が着く、または来るまでの間、最近は携帯という便利なものができて結構時間はつぶせるようになった。1昔前はPCを電車の中や乗り物で使うのが、進んだビジネスマンという印象だったけど、PCの携帯性能はいまだ便利とは言いにくいもんだから、そういう人を見ると「お気の毒に・・」と哀れみがられてしまうのも悲しい。

その科学者が分析した内容で、もう1つ面白かったのが、ある「待っている」間に、最も早い時間でイライラ始めるものは何かということ。順番は覚えていないけど、たとえばデートの相手がなかなか来ない、なんて場合では、意外と長い間耐えれる傾向があって、分析では1時間以上越えて、ようやくイライラし始めるらしい。デートの相手の場合、相手の状況に思いを巡らす余裕があるからなんだろうか。

比較的早めにイライラ始めるのは、公衆電話(今じゃ探すのも大変だけど)とかレストランの注文が5分から10分でイライラ開始とあった。こんなところから、携帯電話とかファストフードの発明・発達が受け入れられたんだろうね。

で、最も短い間にイライラ始まるのは、さて何だと思いますか? いかにもアメリカ人らしいな、と思ったんだけど、それは1分から2分くらいでイライラが始まるのだそうですよ。答えは、エレベーターを待つ、でした。忙しいビジネスマンにとっては、朝の出勤時にエレベーターが来ないのは、確かにイライラしちゃうよね。

デートの相手のように、余裕を持ってエレベーターも待ちましょうか・・。

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ズバリ! 女性にもてるには?

10数年前、Jamaica国に駐在していた頃ある本を読んでいて、ハッと気付いたことがあった。有名な将棋の名人が人生相談コーナーで書いていた内容に、ハタと思い当たることがあったのだ。

ありふれた「女性にもてるようになりたい」という相談だったけど、この願望は男性なら100%誰でも持っている願望だろうし、最愛の人と家庭を持てて一生を共にすることこそ、他のどんな願望にも勝るといってもいいよね。その願望を叶える方法があるとしたら、そりゃ知りたいでしょ?

かくいう僕もこの”モテる”ということに関しては大きなことの言える輩じゃないけれど、特効薬じゃなくてもある程度効くという方法はいくつかあるみたいなんで、忘れないうちに書いておきましょう。なんせ少子化が気になって仕方がないからね。

その将棋家がいいうには「まず、己を鍛える」ことだそうだ。趣味でも何でもいいから、それとなく自分がやってて気持ちのいいことや、他人に話して興味を持ってもらえそうなことを、ある一定のレベル以上までがんばってものにすること。これならできそうじゃない? 何をやってもダメ、って人は結局もてないのかもね。

次に、彼曰く「女運のいい奴と付き合え」といってたと思う。「えっ!?」って思うでしょう。そう、女性を付き合う前に女運のいい男と付き合えって言うんだよね。確かに回りを見ると、いかにももてそう、という奴の他にも、「なんでこんな奴が・・」と思うような男が、見とれるような美人を連れていたりするじゃない。それは彼が金持ちなのかもしれないし、性戯がすごいのかもしれないし、何かコツがあるんだろうね。

そういう男と一緒にいるのは、僕らにとってはかえって苦痛かもしれないけど、僕の経験から言うと得るものはあるみたいだよ。僕が1日だけ飲みに誘ったいつも新しい彼女の話しかしない彼の場合、まぁ、しょっちゅう電話したり(今みたいに携帯のない時代だから、お店の公衆電話から)して連絡を取り合ってるわけ。「あぁ、こいつの取り柄はマメってことなんだな」と納得してしまったよ。

それから「俺はあいつみたいにマメには出来ないし、紹介してもらったあいつの彼女も大したことなかったし、あんな風にしてモテることもないから、とりあえずスキーでもうまくなっとくか」ってな具合に、不思議と気持ちが焦らなくなった。 それからしばらくして今の女房巡り会ったってわけ(のろけかよ!)。でも、きっとそいつから”運”を分けてもらったのかもしれないと思えるから不思議でしょ。

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韓国の街を歩いて感じる、懐かしい日本の昭和

前回チラッとお話した韓国・ソウル(漢城と表示されていた、京城じゃないんだね)へ行った時の話。韓国へは今まで何度か行ったことがあるけどすべて仕事だったし、上司やお客様とご一緒だったので、街の様子や市民の暮らしぶりなどは殆ど知らなかったんだけど、今回は「安重根追悼式」への出席という恐れ多い目的があったにせよ、基本的にフリーな旅だったので、自由時間を気楽に街を歩いてみた。

夕方にチェックインした後、まず近くの明洞(ミョンドン)という繁華街から散策をスタート。6時を回っていたけど、東京より日が長く感じたのはやはり緯度が高いせいなのかな。金曜ということもあってホントすごい人の波で、以前韓国の友人が「日本の原宿と渋谷を合わせた感じ」といったいたとおり。

店はどこも今風にウエスタナイズ(欧米化)されているけど、所々に屋台で串刺しの揚げ物や練り物、それにお餅(トッポギ)をだいたい1本100円くらいで売っていて、若いカップルがそれを食べながら歩くのが流行らしい。おじさんにはぶつかった時に怖いと思うんだけどねぇ。そう、韓国では人との物理的な距離が、特に東京のそれと比べると本当に近い感じで、僕のようにフラフラ・キョロキョロしながら歩いているとよくぶつかるんだ。(でも、お互いすぐ謝るのはどこかの国と違う!)

明洞では目が回りそうだったので、それからしばらく歩いて有名な南大門市場へ。日も暮れてきたけど、こっちは人通りもまばらでなんか暗い感じ。本当にここかな、と一瞬入るのを躊躇してしまったくらいだけど、考えてみればここは市場なんだからもう店じまいの時間だったんだ。

ひと通り歩いてそういえば腹が空いてきた事に気がついて見渡したところ、路地を入ったところに屋台を数件見つけ、その中の義母に似た風のアジュマ(おばちゃん)のお店に。屋台には魚介類を中心に大皿が並んでいて、日本人と分かったら20種類くらいある食材を全部説明してくれた。その中から好きなものを選ぶと、そのアジュマが味付けした料理を作ってくれるという、屋台風小料理屋さんだね屋台には魚介類を中心に大皿が並んでいて、その中から好きなものを選ぶとそのアジュマが味付けした料理を作ってくれるという、屋台風小料理屋さんだね。

屋台の横にある椅子(といってもビール箱製だけど)に腰掛けて、お通しのキムチを肴に1杯やりながら道行く人たちを眺めていて、フッとなんだかとても懐かしい気持ちがわいてきた。「以前、東京にもこういう人と人とが近い時代があったよな」と、誰かと話したくなってしまった。そう昭和30竏窒S0年代って東京もそうだったけど、みな働くことに一生懸命で、働いて楽になりたいと純粋にそれだけ考えていたような気がする。

それがいつからかみんなそれなりに余裕が出来て、オシャレになって、きれいになって、そしてみんな他人行儀になっていってしまったのかな。昔の懐かしさに涙が出そうになっていたら、アジュマが「寒い?」と聞きながら、炭火の入った灯油缶をそばに置いてくれて、ますます泣きそうになってしまった。

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韓国・中国の歴史観と日本

実に1ヶ月近くもこのコラムをサボってしまった。その間北は北海道から信州・松本そして韓国ソウルまで行って、大忙しだった。やっと一息つこうと思っていたら、また中国の反日感情だよ。全く、嫌になっちゃうよな。

韓国を訪れたのは3月25日縲怩Q7日で、伊藤博文を暗殺した安重根の追悼式に参加するのが目的だった。その理由はいずれご報告するとして、竹島問題が勃発している真っ只中だったので、楽しみにしていた屋台で1杯はお預けかな、と思っていたら、予想外に韓国の一般大衆の感情は穏やかだった。

追悼式で私が隣に座った方は、金泳三大統領時代に内務長官、警察庁長官まで勤めた安一族の方だった。日本統治下に覚えさせられた完璧以上に美しい日本語だったけど、その言葉によれば「竹島問題はノ大統領が政治的に騒いでいるだけで、庶民は冷静ですよ。日本も過剰反応すべきではありません」だった。

同じくソウル大学で教鞭をとっていた元学長(すごいメンバーでしょ。私は居心地が悪かった・・・)は、「日本と韓国ほど民族が似ている国は世界中どこを探してもありません。私は韓日関係に1末の心配もしていません」として乾杯の音頭を取られた。政治がどうあれ、今の友愛ムードをより発展させようとする庶民の交流の方が、未来志向のような気がして気持ちが良かった。

一方、中国のあれはなんだろう。去年8月のサッカーアジアカップの時もそうだったけど、あれほど日本が嫌いなのか、と驚いてしまう。ああなったら、もう隣人付き合いなんて考えない方がいいんじゃないのかな。 日本の市民にまで暴力を振るっておいて「その責任は日本になる」なんて暴力を正当化するなんて国と、経済も含めて一度冷却期間をおいたらいいんじゃないの?

それにしても思い出すのは8年前。もうそんなになるのかと驚いてしまうけど、中国への単身赴任を命じられた時、直感的に「NO!」だったもんね。とにかく心理的に拒否反応だったのは、やはり正しかったのかな、というか自分にとって良い直感と判断だったんだと思うよ。

その感覚で言えば、今回の事件はオイソレとはいきませんよ。日本政府も毅然と対処してもらいたいね。

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心に沁みたいい言葉(6) 縲恂イに日付を~

少年の老い易く、学なり難し、とは言い古された言葉だけど、確かにああしたい、こうしたい、などと夢や目標を掲げていても、いずれ何を夢見ていたのか、何が目標だったのかすら忘れてしまうし、まぁ、そんなもんだ、なんて変に納得してしまうことの方が多い。

そんな時、ある有名企業の社長・会長と勤めた方が、私の所属しているロータリークラブの卓話で、「若い人へのアドバイスとして入社式や結婚式などのスピーチの場を借りて、”夢に日付を”とお願いしている」と話されていた。簡単なメモで言いそうなんだけど、思い付いた事をメモしながらその日付も書き足しておくと、あれから何年経ったのかとか、あの時はこんな風に考えていたんだな、ということが鮮明に思い起こされていいのかもしれない。

我々のような営業の実戦部隊にいると、しょっちゅうやっている”研修会”と称する作戦会議で、とにかく目標の選定とそれを達成するための細か過ぎるくらいの綿密なスケジュールや対策を立てさせられるけど、効果を上げることもあるけど殆どは文字通り絵に描いた餅になってしまう。

結局人間はどこかで逃げ道を探しながらアクセク働かなくてはならない動物なんだろうか? メモしたら日付くらいは付けてみようかな、と思ったのでした・・。

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ラスト・プラニングのすすめ(3)

今週はラスト・プラニングのラストを締めくくる”どういう葬儀をしたいか”です。墓石に拘る人は多くいたことは知っていたけど、従来の葬儀のあり方そのものに疑問を持つ人も結構いることに気が付いたのは、あるTVがきっかけだった。

たまたま80歳を超えようとしていた母と一緒に見ていたので、母がいきなり「私は密葬でいい」といい出して、葬儀をどうするかの話になった。我が家にはある事情があって、先祖の墓石に入れないという深刻な、ある意味で切羽詰った事情があったので、葬儀をどうするかの前に、その葬儀をどこでやるかと同時に、その後の墓地をどうするかも考えなければならなかったのだ。

母との話し合いでまず、密葬と決まった。人前に出るのは大好きな母だったが、逆に死に顔を他人様に見られるのは嫌のようだ。気持ちは分かる。呼ぶのは私家族と(僕は長男だから、呼ぶ方だ)、嫁いだ妹の家族のみ、となったが、どこで上げるかはすぐには決まらなかった。幸い所属しているロータリークラブに護国寺の管首さんがいらしたので、今相談しているところだけど、何とか葬儀の場所と墓石(マンション形式のあれ)だけは確保できそうで、ひと安心しているところ。

一方、自分の時にどうするか。今漠然と考えているのは、「樹木葬」というやり方。岩手県の一関市にあるお寺のご住職が考え出されて実行されている方法だけど、お寺の裏山全体を墓地として登録し(日本の法律ではどこでもお墓には出来ないらしい)、そこの山肌全体に自分の好きな樹木をいくつかの候補の中から選択する。

すると、自分が死んだ時には、その選んだ樹木が自分の墓石代わりとなって、裏山に植えられる。お骨は細かく砕いてその樹木の根っこ部分に散骨されるというもの。山全体がいつしか樹木に覆われて、自分のお骨もいつしか自然に帰る、というイメージなんだな。

アウトドア派を自称している僕としては、こんな方法もいいなと思っているけど、今では昔からのやり方に拘ることなく、いろいろな方法が選べるということくらいは、ラスト・プラニングをする前に知っておいてもいいのではないでしょうか。

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ラスト・プラニングのすすめ(2)

先週お話した葬儀にまつわるいろいろな諸問題を解決する方法として、最近注目されつつあるのが「ラスト・プラニング」あるいは「エンディング・ノート」というもの。自分の死後、葬式はどうして欲しい、遺骨はああして欲しい、などの希望を、予め(=生きている内、しかもまだボケてない時に)家族に対して伝えておく方法だ。

「遺言」というとひどく大袈裟だし、税務署に知られたらないものまであるって言われそうだけど、でも一応それなりに伝えておきたいことはある、という方は多いんではないかな? そこで考え出されたのが、こうしたノート式の言ってみれば「簡易遺言」みたいなもんだ。

インターネットで検索すると2竏窒Rの大手(?)NPOが盛んに宣伝しているが、相談すると結構なお値段とられそうだし、余程込み入った内容でない限り、そうしたプロに頼まないでも、十分自分で出来ると思う。要は、自分がどうしてもらいたいか、を今元気な内から伝えておけばいいわけだ。

例えば、「お葬式は家族だけでいいので、親戚は一切呼ばなくて良い」とか、「○○寺の御住職に頼んであるから、もしもの時はそこに電話して」とか。「生命保険証券はどこにあるから、すぐ電話して」といったお金のことも抜かりないようにしておきたいし、同時に預金口座も死んだ後は銀行が取引できないようにしてしまうので、当座のお金は別口座に準備しておきたい。

また、お墓をどうするかが決まってない人は、日頃からいい寺や霊園墓地を探しておいて、そこの責任者と顔見知りになっておくといい。お寺の場合は毎週決まった日に「講和」の日を設けてご住職が話をしてくれるので、そうした会に時々顔を出しておくのもいい。そうすれば、いざ、という時にそこに電話すれば阿漕でない葬儀屋さんを手配してくれるし、お墓の料金も前もって知っておける。

こんなこと聞いたら親だって嫌だろうな、と思うとなかなか聞けないのが普通だけど、誰かの葬式があった時など、「我が家の場合はどうしよう・・?」と、正直に切り出すのも大切かもしれない。

次回は最終回として、どんな葬儀がいいか、についてお話しましょう。

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ラスト・プラニングのすすめ(1)

先週、叔母の葬儀があった。3人姉妹の末っ子である母のすぐ上の姉だった。長姉はまだ健在だから、「順番が違ったから、ショックだわ」と母。私の従兄たちも、突然のことだったらしく、相当あわててしまったらしい。

叔母は日曜日の朝、新聞を読んでいて突然倒れたそうだ。すぐ近くの総合病院に担ぎ込まれたが、報を聞いてすぐ駆けつけた母によると、その時はこちらの問いかけにも反応するぞぶりを見せていたらしい。しかし、それから意識を取り戻すことは無く、3日後に亡くなった。死因は脳溢血で、享年88歳だった。

実は、それからが大変だったそうだ。まず、病院手配の葬儀屋との値段交渉が始まる。生前から聞いていたわけではないから、誰を呼んでどこで葬儀をあげるか、さらに問題はいつ葬儀が出来るか、だった。この季節、亡くなる方が多いことは予想できるが、一番近くて便利な焼き場が大変混んでいたため、なんと6日間も待たされた。いまでは珍しいことではないらしい。

叔母の場合、病院の霊安室に置いておいてもらえたが、こうした例はラッキーな方で、通常なら「お引取り」いただくのだそうだ。お引取りといわれても、核家族化で極小のマンション住まいの多い現代人にとっては、土台無理な話。それでも自分の家なり、親戚の家なりを借りて焼き場が空くまで待たなくてはならない。その間のドライアイス代や死化粧代もバカにならない。

このWaitingの間、葬儀の準備をしておくことになるが、葬儀屋さんに任せてしまうのなら、ある程度は簡単らしい。拘るのは「料金」くらいのものだけど、最後、と思うと値切ることも出来ず、結局上・中・下と示されると、だいたい上か中に決まってしまうものらしい。しめて200万円が中クラスの相場だとか。

都内で結構昔から有名な火葬場は、その殆どが民営、と聞いてまた驚いた。公営の焼き場は極僅かで、都内だと目黒区とか大田区辺り、多摩地区なら八王子あたりにまで出かけなくてはならないし、そうした所は安い代わりに混んでいるから待ちも長くなってしまう。

このように、いざ身内がなくなると、あれもこれもはじめてのことだし、どうしていいか分からないことだらけで、パニックになってしまいそうだが、そうならない為の”先の杖”が、ラスト・プラニングといって、身内といっても普段話しにくい、”死後”のことをメモ程度でいいから書き取っておいて貰うことが、Happy Endingの秘訣なのだそうだ。

その詳細については、来週にしましょう。

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地方公務員の平均給与額が示す、日本の末期的症状

先日の新聞記事に「増税前に歳出削減を」という記事を見た。まだ声を大にして言わなければ分かんないのかなぁ・・、と嫌になっちゃうけど、そんなの庶民感覚からすれば当ったり前だよね。我々平均的な家計感覚では、毎月の給与が減ればまず考えるのが「出るものを抑えよう」でしょう。それを出るものが決まっているから、入るものを増やす、なんて安易を言うか横暴だよ。そこまで政治・行政業界の人間は狂っちゃってるのかな。

その記事を見て驚いたのはもう1つあった。「地方公務員は全国に308万人いて、その給与合計は23兆円。これは国の一般会計の政策経費のほぼ半分」だそうだ。地方分担金を増やすだとかの議論も行われているけど、この額をよくよく吟味しないと、益々公務員だけを肥やせることになってしまう。

この額は単純に割れば1人あたり750万円の年収となるんだけど、この額を聞いて驚く人も多いと思う。FPをしている僕なんか、前から驚くというか怒りさえ感じていたんだけど、我々のツールでは業種別に年収も出るというのがあって、それを使ってライフプラニングとかをするんだけど、最も高い年収業種は95年以降「地方公務員」とでるんだもんね。750万円の年収というのは今では上場企業ですら課長・部長クラスだよ。それが30歳代後半で実現している勘定となるんだ。

地方公務員に限らずヒマな公務員が多いのは世間ではもはや常識となっているのに、全くその対策が取られないのは、1にプランを立てられる政治家がいないことなんだろう。公務員が自ら自分の首絞めるわけ無いもんね。僕だったら公務員の配置換えをやり易くする法律作って、ヒマま公務員を税関だとか麻薬取締官など水際に多く配置したり、民間から公募して、オンブズマン(行政監視官)をもっと増やしたいなぁ。

そうでもしなきゃ我々のさらに先の子供の世代は、税金と社会保険料で60竏窒V0%も取られて、そのご相伴に預かれるのはごく一部の公務員だけだなんて、働く気がしないよね。ったく、もう・・・。

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携帯の2006年問題とは

ここのところ、新聞や雑誌で携帯の各社比較が盛んに行われていて、日頃携帯が仕事に直結している僕などは、どうしても気になってしまうのだけれど、確かにこの携帯電話の料金は分かりにくいし、使う側の消費者が節約の仕様がないもんだから、どうしても請求書の明細とおりに支払ってしまうことになる。でも、最近はそうでもなくなったみたいなので、僕の節約術をちょっとご披露いたします。

僕は仕事とプライベート双方に同じドコモの機種を使っている。家族もそれぞれドコモに入っているので、合計3機種を登録しているわけ。当然すべてファミリー割引が付いていて、1ヶ月で約18,000円ほど使っていた。それが、ここ2ヶ月間の請求額が13,000円台になったのだ! すごい節約でしょ。クソ高いと評判のドコモにしてこの節約だから、何が功を奏したかというと、理由は2つ。

1つは、僕の使っている携帯の料金プランを「ビジネス」に変更した。これは平日の朝8:00から夜7:00までの料金が、ほぼ固定電話と同レベルになって、それ以外は3割ほど高くなるという設定。僕の場合、携帯での通話(いわゆるiモードでない)はほとんどこの時間帯に集中しているから、結構効果があったということだね。

2つ目は、家族間の交信は原則iモードを使うことにしたわけ。昨年の10月から、ドコモも家族間のiモードがタダになっているので、これを使わないことは無いよ。結果、合計で20%もの割引が実現したんだ。

実は、これ全て僕が考え出したんじゃなくて、ドコモのサービスダイアルで相談に乗ってくれるんだ。電話してもっと安くする方法を尋ねると、どういう使い方をするかを聞いてくれるので上記のようなことを話したところ、過去の平均的な月の使用実績を新プランに置き換えてシミュレーションしてくれるというサービス。こうすればこのくらいになります、という具体的な金額が弾き出されるので、結構衝撃。すぐ変更してしまった。

これもドコモなど携帯各社が抱える2006年問題、つまり番号のポータビリティ開放が実現されるからなんだ。今はまだ携帯の会社を変えてしまうと番号を変えなくてはいけなかったので、僕のような仕事携帯人は2の足を踏んでいたけど、会社を変えても番号が変わらないのだったら、安くてサービスの内容がいい方がいいもんね。だからドコモも必死になっているということか。みなさんも是非お試し下さい。

ついでに、早く海外でも使えるようになるといいのに、と思うのは僕だけでしょうか?

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災害は、忘れる前に、やってくる

この年末年始、コラムを2W休んでいる間に、インド洋のほぼ全域に大津波が襲った。日に日に犠牲者の数が大きくなり、未曾有の大惨事となってしまった。

私は社会人の第1歩を岩手県の大船渡という場所でスタートした。風光明媚の上心優しい人々の暮らしに感激したのを今でも鮮明に覚えているが、同時にこの町は昭和35年(1960年)5月に起きたチリ津波のよる被害の多さでも歴史に刻まれていた。チリ地震はM9.0以上だったと推測されているから今回のスマトラ沖地震と同じく、世界最大級だった。

地震発生から津波が三陸海岸まで押し寄せるのにかかった時間は約23時間とあり、各地で2竏窒Tmもの潮位が記録されている。新人として配属された初日に現場の方から「あそこの色が変色している部分まで水が来た」といわれて見上げたのが2階建て建物の2階の窓付近だった。そして何より驚いたのは、当時セメントを出荷しようとして積み込み作業中だった1万t級タンカーが、港から1kmも離れた内陸まで流された現場の写真だった。

「波だけなら何とか這い上がることも出来る。しかし、津波は波ではなく瓦礫の塊なのだ」とその現場の方。タンカー船だとか車だとか、大きなものからとがったものまで、とにかく何でもかんでもものすごい勢いで流されてくるのだから、いわゆるサーフィンなんてものじゃなく、高速道路の事故が連続して起きている真っ只中にいるような感じだろうか。

以来、同じくチリ津波で大きな被害を受けたハワイには、津波がそのまま国際語になってTsunami観測センターができたし、日本でも地震ときたら即津波、は当たり前の備えとなった。大船渡でも町全体が協力し合って助け合う相互自助努力が町の暮らし全体に生かされている。そのことが私が実際に当地で体験した後の宮城沖地震などでも多いに生かされた。

雨降って地固まるではないけれど、我々ももう一度日頃の備えを点検しなおそうではありませんか。災害は忘れる前にやってくるのですから。

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